ソプラノ/アウトリーチ専門演奏家/声楽講師の永井友梨佳です♩
ネオクラシカルな日本のうた、曲解説シリーズ。
今回は、中田喜直作曲・寺山修司作詞の「悲しくなったときは」
二人のモノローグによる歌曲集「木の匙」の10曲目となります。
作曲の中田喜直さんって?
多くの歌曲や童謡、合唱曲を作曲された、日本のシューベルトとも呼ばれている作曲家さん。
詳しくはこちらの記事をどうぞ↓
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作詞の寺山修司さんって?
寺山修司(1935-1983)
青森県弘前市生れ。県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。
早大教育学部に入学(後に中退)した1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。
以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真まで、活動分野は多岐にわたる。とりわけ演劇には情熱を傾け、演劇実験室「天井棧敷」を主宰。その成果は国際的にも大きな反響を呼んだ。
寺山修司 | 著者プロフィール | 新潮社 (shinchosha.co.jp)より引用
映画・演劇・詩歌・エッセイ・小説など、あらゆるジャンルで功績を残した寺山修司さん。
今でいう、マルチクリエイターの先駆けともいえるかもしれません。
その作品は海外でも評価されています。
また、寺山さんは若いころから病に悩まされており、
1983年、肝硬変と腹膜炎による敗血症のため、47歳の若さで亡くなりました。
「悲しくなったときは」の歌詞
では、歌詞をみてみましょう。
悲しくなったときは 海を見にゆく
古本屋のかえりも 海を見にゆく
あなたが病気なら 海を見にゆく
こころ貧しい朝も 海を見にゆく
ああ 海よ 大きな肩とひろい胸よ
おまえはもっと悲しい おまえの悲しみに
私の生活は 洗われる
どんなつらい朝も どんなむごい夜も
いつかは 終る
人生はいつか終るが 海だけは終らないのだ
悲しくなったときは 海を見にゆく
一人ぼっちの夜も 海を見にゆく
詩・寺山修司
「悲しくなったときは 海を見にゆく」というこのフレーズが
まず、とても印象的です。
海と、人生を描いた、身近だけれども深く壮大な詩です。
「死」と「海」と
作詞の寺山修司さんは、自身の著作でこのように語っておられます。
死を抱え込まない生に、どんな真剣さがあるだろう。明日死ぬとしたら、今日何をするか?その問いから出発しない限り、いかなる世界状態も生成されない。
角川文庫 寺山修司・著「さかさま世界史」より引用
寺山さんは、若いころから病に悩まされていました。
大学入学後にネフローゼ症候群と診断されて、在学1年足らずで退学していたり、
晩年は肝硬変を患っていました。
この経験から、「死」と日常的に向き合っていたのではないかと思います。
この詩にも、「死」が大きく存在していますよね。
どんなつらい朝も どんなむごい夜も
いつかは 終る
人生はいつか終るが 海だけは終らないのだ
悲しくなったときも、病気になっても、つらい朝も、むごい夜も、
それはいつか終る。最終的には「死」によって。
「死」そのものが救いとなっているのか。
それとも、「自分が死んでも、海が終わらないこと」が希望となっているのか。
深く読み込むほど、いろんな解釈ができます。
私の個人的な解釈としては、「死」が救いになるというよりは
「海」の、どんなことも受け入れてくれるようなその存在そのものに
救われているんじゃないか、と思いました。
ああ 海よ 大きな肩とひろい胸よ
おまえはもっと悲しい おまえの悲しみに
私の生活は 洗われる
この部分では、海をある意味貶すような…
海と自分を比較して、一種の優越感みたいなものを抱いています。
人って、優越感が得られると心が少し休まったりしますよね。
そんなことを、海に対して思っている。
でも、海は、そんな想いも、なにも言わず全部受け止めてくれる存在なんですよね。
だから、「悲しくなったときは 海を見にゆく」のだと思います。
私も、海をみるとすごく落ち着きます。
なんだろう、圧倒的な存在というか、、
この詩にあるように「終わらない」存在であることに、ほっとするのかもしれません。
客観的、主観的が入り乱れる
この詩に中田さんが書かれた曲は、曲調から3つの部分に分けられるのではと考えます。
まずは前半4行。
悲しくなったときは 海を見にゆく
古本屋のかえりも 海を見にゆく
あなたが病気なら 海を見にゆく
こころ貧しい朝も 海を見にゆく
この、「海を見にゆく」が繰り返される部分は、
穏やかなメロディーとシンプルなピアノパートで、淡々と描かれています。
海をみているときの情景を、客観的にカメラで切り取ったような。
自分を遠くから眺めているような、そんな感じ。
そして次の部分。
ああ 海よ 大きな肩とひろい胸よ
おまえはもっと悲しい おまえの悲しみに
私の生活は 洗われる
どんなつらい朝も どんなむごい夜も
いつかは 終る
人生はいつか終るが 海だけは終らないのだ
ここは、前半部分から一転してかなり劇的な音楽となっています。
繰り返し転調しながら、音域も強弱も急激に変化して、
「どんなつらい朝も」から急に穏やかになったかと思えば
また転調してffになったり。
この部分は、最初の客観的な目線ではなくて
海をみている人物の激しく揺れ動く心の中へ、
主観的な目線に変化しているのではないかと思います。
海を貶してみたり、自分の「死」のことを考えたり。
激しい感情を海にぶつけている様子が音楽でも表現されています。
まるで嵐がきたときの海の、激しい波のようにも感じられますよね。
そして最後2行。
悲しくなったときは 海を見にゆく
一人ぼっちの夜も 海を見にゆく
ここでは、前半と同じように、穏やかなメロディーが戻ってきます。
嵐がきて激しく海が荒れても、過ぎ去ればもとの穏やかな海になる。
そんな自然の摂理と、詩の感情と、音楽がリンクしているようにもみえます。
衝撃のラスト1小節
穏やかなまま曲の終わりへ進み、ああ、悲しみは解決したのかな、と思いきや
最後の1小節、ピアノパートが不協和音を奏でて、曲が終わるんです。
この終わり方がなんとも意味深で、、鳥肌がたちます。
そのまま穏やかに終わることをせずに、あえて不協和音を響かせて終わる。
しかも、この不協和音がとても美しいんですよね。
この裏切りが、「答えなんてないんだよ」ということを教えてくれているような気がします。
悲しいことや、病気や、思ってもみないような色々なことが人生には起こるけれど
どうすればいいっていう答えはなくて。
海を眺めてみても答えは出ない。
でも、海をみると少し癒されて、心が軽くなるような気がして。
そうやって、答えがみつからないままに
人生は進んでいくものなのかもしれませんね~。
おわりに
今回も、詩の内容もあって、人生訓みたいなお話になっていまいました(笑)
ほんとに、読み込むほどに味わい深い詩と音楽です。
日本語って、音楽って良いな、深いな、と改めて感じましたね。
これからも大切に歌っていきたい1曲です。
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