ソプラノ/アウトリーチ専門演奏家の永井友梨佳です♩
今回ご紹介するのは、「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」「めだかの学校」などで有名な
作曲家 中田喜直さんです。
中田喜直さんのプロフィール
中田喜直(1923〜2000 東京)
中田喜直は、戦後の日本で、親しみやすい歌曲や合唱曲を多く手がけた作曲家です。
「早春賦」の作曲者として知られる中田章を父として、大正12年、東京で生まれました。東京音楽学校のピアノ科を卒業後、作曲グループ「新声会」に入って作曲を始め、26歳のときに「ピアノ ソナタ」が音楽コンクールの第2位に入賞します。その後は、ラジオ歌謡や童謡などの作曲家として活躍しました。
代表曲には、女声合唱のための組曲「美しい訣の朝」、ラジオ放送を通じて親しまれた歌曲「夏の思い出」「雪の降るまちを」、童謡「めだかの学校」「かわいいかくれんぼ」「ちいさい秋みつけた」などがあります。また、学校の校歌も数多く作曲しました。
※東京音楽学校:現在の東京芸術大学音楽学部。
教育芸術者HPより引用 中田(なかだ)喜直(よしなお) – 教育芸術社 (kyogei.co.jp)
童謡だけでなく、すばらしい歌曲もたくさん作曲されている、大好きな作曲家さん。
過去に「霧と話した」の曲解説もしています。ぜひ↓
「霧と話した」作曲:中田喜直、作詞:鎌田忠良 | ソプラノ歌手 永井友梨佳 (yurikanagai.com)
今回、中田さんの本を2冊ほど読んでみたところ、
とても面白いエピソードや意外な事実がわかったので、いくつかご紹介してみようと思います!
ちなみに読んだ本はこちら↓
夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直 | 牛山 剛 |本 | 通販 | Amazon
音楽と人生 | 中田 喜直 |本 | 通販 | Amazon
(2冊とも、どうやら現在絶版となっているようですね。。私は図書館で借りて読みました!)
「喜直」の名前の由来
中田喜直さんの父は、「早春賦」で有名な作曲家の中田章さん。
中田喜直さんには兄や弟がおられましたが、
父・章さんは、喜直さんが産まれた時から、自分のあとを継いで音楽家になるのは喜直さんだと考えていたようで
『喜直』と名付けたのは「音楽にとって大切なのは、美しい音楽を素直に喜ぶ心だ」という思いから。
ですが、喜直さんは父から直接音楽のことは何も習わなかったみたいです。
また、中田さんの名前の読み方は「ヨシナオ」として定着していますが
本来は「ヨシタダ」らしいのです…!!
中田さんは
「でもヨシタダって誰も呼んでくれないし、いちいち訂正するのも面倒くさくなって、いつの間にかヨシナオになってしまった」
と言われていたそう。。
なかなか衝撃の事実ですよね( ゚Д゚)
中田さんと戦争
中田喜直さんが東京音楽学校の学生だった頃、第二次世界大戦が始まります。
中田さん自身も、東京音楽学校卒業後に入隊されているんです。
入隊の直前には、自宅でひとりピアノに向かい、ショパンのピアノソナタを弾いてから家を出たそう。
その時の中田さんの心情を思うと…とても心苦しいですよね。
入隊後は、飛行学校に行ってから、フィリピンなどに赴いて軍の仕事をしていました。
あの作曲家 中田喜直さんが軍の飛行機の操縦をしていたんですよ、、
今を生きる私たちには現実味を帯びないというか…想像できないですよね…
結果的には戦闘に参加することはなかったものの、
一時は「特攻隊としてがんばれ」と言われたり、
戦後は「兵隊は家に帰れるが、将校は銃殺されるらしい」という噂がたっており
将校であった中田さんは死を覚悟し、母や恩師、友人に向けた遺書も書いたそうです。
本当に幸運に幸運が重なって、無事日本に帰ることができました。
中田さんの音楽
戦後、中田さんは作曲家として頭角を現していきますが、
特に彼の歌曲は「それまでの歌曲にみられないピアニスティックな伴奏の動き」だと賞されます。
実は、中田さんは東京音楽学校のピアノ科出身で、作曲科ではないんですよね。
正式に作曲技法を学んだことはないそうです。
また、ショパンの音楽にも多くの影響を受けていたみたい。
こういった背景から、今までの歌曲にはない美しいピアノパートが生み出されていったのかもしれません。
中田さんの歌曲のピアノパートは、本当に美しいですよね…
「夏の思い出」のヒットは母のおかげ?
中田さんの代表的な曲といえば「夏の思い出」です。
洗練された、どこか涼し気なメロディーが本当に素敵な曲ですよね。
この曲は、戦後に始まったNHKラジオ番組「ラジオ歌謡」のために作られました。
まずは詩人の江間章子さんが、過去に訪れた尾瀬の景色を思い浮かべて詩をつくり
作曲は当時新人作曲家であった中田さんが抜擢されました。
「夏の思い出」の作曲を始めた中田さんはすぐに曲想がうかび、
あっという間に曲が出来たらしいのですが
それを聴いた母 こうさんが「ちょっとお粗末じゃあないの」と言ったそう。
その母の一言に、中田さんは冷静に改めて曲を見直して、
大幅に手直しをしました。
これが、私たちが知っている「夏の思い出」なのです。
母のこうさんが、中田さんの曲に意見を添えたのはこの時だけだったようですが、
母の一言がなければ、この「夏の思い出」は産まれてなかったんですね。
なんとも不思議な巡りあわせ…
のちにこの曲は大ヒットし、教科書にも載るような国民的な曲となります。
中田さんはこの歌の印税の振込先を母名義にして、感謝の気持ちをあらわしたそうです。
すてきなエピソードですよね(*^^)
実生活ではリアリスト
さて、歌曲や童謡の印象から、
中田さんは穏やかでロマンティックな人柄なのかなあと思っていましたが
実生活では合理主義者でリアリスト、自身の主張をはっきりと述べることが多かったそう。
これを知って、とても意外でした。
中田さんは、特に「嫌煙家」としても有名だったようで、
自身の著書「音楽と人生」の中では
「この本にはタバコのことが沢山書いてあり、うっかりするとタバコの本になってしまうかもしれない」と書いているほど。
実際にこの本では1章まるまるタバコのことが書かれています。
タバコのことだけではなく、様々な社会の出来事や問題について、割とズバズバと意見を言っていたみたい。
また、中田さんは、こうも語っておられます。
「作曲家が作曲し、演奏家が演奏し、聴衆が聴く、あるいは、個人が勝手に自分で楽しみながら歌ったり、楽器を弾いたり、音楽の存在する形はいろいろあるが、そこに必ず人間があり、そしてその人間が社会生活をいとなむ以上、音楽と社会は、直接、間接に深い関係がある」
牛山剛・著 新潮社「夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直」p.15より引用
中田さんの本の著者 牛山剛さんは、中田さんのもうひとつの魅力はここにあると言っています。
また、戦争で一時は死を覚悟したもの無事帰還したことから、
戦争で失ったはずの命を再び与えられた、そのときに抱いた「使命感」があるのでは、とも語っています。
私も、この中田さんの人柄や主張を知って、かなり意外だったけれど、
この二面性はとても面白いし、逆に中田さんにとても親しみがわきました。
これだけ現実や社会をしっかりみて生きてきたひとが、
こんなにロマンティックで叙情的な音楽を作っている。なんだかすごく深いです。
おわりに
中田喜直さんの歌曲は、大学の頃から大好きでたくさん歌わせてもらっていました。
「霧と話した」と「サルビア」は特に好き。
今回本を読んでみて、中田さんの音楽以外の一面をたくさん知れました。
特に、やっぱり私たちが経験していない「戦争」を経験されているのは
とても大きなことだなあと感じます。
中田さんについて色々知れたことで、曲ももっと深い表現ができそうな気がしています。
これからも、中田さんの曲を大切に演奏していきたいと思います。
夏になったら「夏の思い出」を歌いたいな~♬
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